1.教育現場の実態
 川崎市の小学校で四年生の女の子がある日、むこうずねにあざを数ヶ所つけて帰ってきた。本人は「階段でころんだ」というのだが小さいあざがいくつも重なっていたため、詳しく聞くと、クラスで無視され、リンチを受けているのだとうち明けた。また雨に日に持っていった傘は折られ、びしょぬれになって帰ってきた。親がなぜそのような目にあうようになったのかを聞くと、自分より前に、クラスで無視されている女の子を家につれてきて遊んであげたのがバレたからだというのである。驚いたのは同情して助けてた女の子までがそのいじめ集団に入っていたことである。そうすれば自分をいじめの対象から外してもらえるらしい。この事実に親は黙っていることができなくなった。こうしたいじめ集団のあまりの正義心のなさ、思いやりのなさが信じられなかったのだ。そこで担任の教師に電話や手紙で何度も善処を要求した。すると教師はクラス全員の前で「○○さんをいじめた者は立て。」と言って叱責を与えたという。しかしこのようなやり方の結果は明らかだった。告げ口をしたという理由でリンチは以前よりもエスカレートしたのだ。今度は髪の毛を抜かれて帰ってきたのである。ここにいたってさすがに親もぞっとしたという。もしこれ以上いじめがエスカレートしたらどうなるのだろう。思わず「もうあやまってしまった方がいい。」という言葉が出るほどだった。しかし娘は「何も悪いことはしていない。」と主張する。結局、この親は悩んだ上に子供を私立の小学校に転校させる方法を選択した。この女の子の場合、何日も登校拒否が続いたにもかかわらず、かばってやった子はおろか、親友達からも電話1本かからなかったのである。以前にも生徒が一人転校したことがあったが、先生からの説明やお別れの挨拶すらなかったという。
 1994年、中学2年の大河内清輝君が首を吊って自殺した。彼をここまで追う詰めた、いじめのグループは金を要求するだけではなく、タバコを強制させ、盗みをさせ、木刀を買わせ、その木刀が折れるまで清輝君を殴っている。その陰惨ないじめの内容は遺書として彼の日記に残されている。だが、それ以上に驚くことは学校の対応だった。何人かの生徒が清輝君がいじめにあっていることを教師に知らせたにも関わらず、教師は真剣に取り合わなかったのである。また、何度も自転車を壊され修理に出された店の主人が学校に「いじめがあるのではないか?」と通報しても学校からは何の連絡もなかったというのである。学校は教育委員会に、清輝君の自殺を突然死として報告し、全校生徒には「外部のものに余計なことを言わないように。」と口封じの指示を出したのである。いじめの実態に気がついていながら何ら対策を講じず、事件が発覚したときには事実を隠蔽し、責任回避の態度を取ったのである。
 1980年に大阪府の中学2年生が自殺したとき、学校側は「友人関係のトラブルが原因ではないか。」との発表に疑問を感じた親が半年以上、調査した結果、驚くべき実態が明らかとなった。この子は数人の同級生から学校や公園で何度もリンチを受け、20万円以上の金を脅し取られていたのである。その内容は顔が膨れ上がり、背中に蹴りの跡が残るほどのものだったのである。親は傷ついた子供を見て、2度も学校へ行き、担任教師に善処を要望したが学校は事態の改善に乗り出さなかった。そして葬式の日、教師は「彼のSOSに気が付かなかった。」と言い、市の教育長は「学校としては手落ちはなく、道義的責任は感じても法的責任はない。」と発言したのである。こんな馬鹿な話があるだろうか。何度も親から救助要請が出されていたにも関わらず、学校側が気付かないと言うのなら、あまりにも教師として無責任であり、人間として心もとない非道な言動であると言わねばならない。
 1994年に自殺した鹿川祐史君の控訴審判決で東京高裁は東京都と中野区に千五百万円の支払いを命じた。しかしその裁判の間、警察では重大ないじめを見過ごしていたことを認めていたにも関わらず、校長も教頭も担任も「記憶にありません。」を何度も連発し事実を否定し隠そうとしたと、その母親は語った。
 今、学校はあまりにも無責任な教師達によって教育が行われている。しかも、生徒からの危険信号を見て見ぬふりをしようとしているのである。そんな学校から子供を救えるのは親しかいないのである。